私が死のうと思ったのは
amazarashiさんの曲に『僕が死のうと思ったのは』という曲があり、それを聴きながら書いてます。
初めて死のうと思ったのは、小学ニ年生の頃。
全てが何故か苦しかった。
泣いては、自分の何が悪くて苦しいのか考えた。
もしかしたら「母のせい」なのかと思った。
母を殺そうと思った時に「私が死のう」と思った。
私は母を殺せるほど立派な人間ではないと思ったのだ。
それからはひたすらに何度も何度も何度も私は私を殺し始めた。
次に死のうと思ったのは、小学校高学年。
自傷行為が日常のものになった頃くらいだった。
仲良しだった友人二人、私合わせて三人組。
ずっと一緒に遊んでいたはずなのに、私を残して家族含む旅行に行ったことを、私は彼女らにお土産を貰って初めて知った。
人の世話になるな、と母が言ってたのはこういうことかと思った。
大人は気付いていたんだ、私が行けないことを。
私は気付けなくて、ただ悲しかった。
次に死のうと思ったのは、中学生の頃。
もうお風呂はとっくに壊れて無くなっていた。
それでも学校は楽しく、勉強も嫌いでなかった私は靴下を縫ってでも、縫いきれないところは指の間に挟みながら歩いていた。
友人に「〇〇(私)って何か変な匂いするよね」と言われた。
水風呂か銭湯か、お湯を鍋で沸かして洗面器で身体を洗っていた。
学校に行けない日が増えた。
大好きだった合唱部の練習に中々行けず、オーディションには通るのに「真面目に来てる子達に行かせてあげたい」と言われた。
生徒会長を勧められ、選挙のとき先生に「学校来てないからなれないよ」と言われた。
悔しくて悔しくて、泣きながら、学校に行きたくて、泣いていた。
もう、この先はずっと死にたかった。
道行く家族が羨ましかった。
お腹が空いている私は昼食の時間が苦しかった。
自由にしていい時間は深夜だった。
田舎の夜の空気は、気持ち良くて、アスファルトに寝転がって、星を見ていた。
死のうと何度も思う。
成人式に貰った小学六年生の頃のタイムカプセルには、私から私への手紙が入っていた。
「ちゃんと死ねてますか?」
過去の私に謝らなくてはならない。
幸せがあっても死ぬべきだった。
私は不幸せの方に目が行くのだ、それが楽だから。
逃げようと何度も思う。
私はここからもう動けやしない。
死ぬしかない時に、悔やみながら、悲しみながら、苦しみながらも、最上の幸せに包まれながら消えたい。
私が死のうと思ったのは、産まれたことを知った時だった。