どうしようもない奴

どうしようもない奴のどうしようもない話を書くだけです。

微熱

 

 

今日は1日中寝てました。

久しぶりにしゃっくりが出るくらい泣きました。

寝てた理由はあり得ないくらいの体調不良でしたが、今起きてゼリー飲料を飲み、少し落ち着いてます。

毎日少しでも書きたいと思いつつ、余裕がなくて続きませんな…。

気が向いたときに少しずつ…少しずつ…。

 

 

 

私の今日と私という者

 

 

 

こんばんは。

ポテトSとドリンクMを頼んで、ぼーっとしてました。

これからまた家に帰って、買い貯めた食材(主に肉)を冷凍したりする前に、少しだけ書いていきます。

 

 

 

 

少しずつ、私という者の説明をしていきたいと思います。

なんだか埋もれがちな人たちの問題にめちゃくちゃ深く関わってしまっている現状が、面倒くさいとも感じつつ、割と楽しんでいます。

 

私は生まれてこの方、ずっと貧乏でした。

今回はそういう話を、過去から書いていきたいと思います。

 

 

 

6人家族の末っ子として産まれました。

父、母、姉、兄、姉、私です。

誰にでも大きな声で挨拶する、笑顔の耐えない、肌が黒く焼けた活発な子でした。

幼稚園には2年くらい通い、その後地元の小学校へ。

 

中学年か高学年の頃、家のお風呂が壊れ、直すお金がなく、夏場は水で、冬場は大きいお鍋にお湯を沸かして洗面器でぬるま湯にして身体を洗っていました。

月に1~5回くらいは車で30分くらいの銭湯へ、姉と行きました。

当たり前ではあるのですが、お風呂に入らなければ髪の毛はべたつきますし、身体は臭くなり、痒くもなるので、銭湯へ行けた日には少なくとも2回はシャンプーをし、身体は3回程洗っていました。

 

お風呂は貴重で、とても嬉しいものでした。

ここから、私の家は悪化の一途を辿ります。

 

洗濯機も程なくして壊れ、手洗いとコインランドリー。

電気、ガスは結構な頻度で止められ、2回程水道も止められていました。

トイレが壊れた時が1番大変だったように思います。

近所の公園まで歩いていくのですが、母の心臓病が酷く連れていくのが大変でした。

(この時はまだ病気だと知りませんでした)

 

食事も、白米があれば良い方でした。

白ご飯に醤油をかけ食べたり、鰹節やマヨネーズなどがあれば贅沢なものでした。

ガスがない時には、ホットプレートで小麦粉に黒糖を混ぜたふなやきというものを作り、食べていました。

15年の間にどんどんと食事内容も酷くなりました。

 

昨日ふと気付いたのですが、私は実家を出るまで布団で寝たことがほぼありませんでした。

大きなカーペットの上に寝転がり、枕は座布団を2つ折りにしたものをタオルでくるみ使っていました。

掛け布団はなく、厚めの毛布と足元にある大きなこたつの布団で寝ていました。

子供部屋に兄のベットがあったのを覚えていますが、母と下の姉と私は3人で一緒にカーペットの上で寝ていました。

 

と、幼い頃はこんな感じの生活でした。

続きはまた今度。

おはようございます




おはようございます。



寝ずに布団の中でじっとしてたんですけど、そろそろ寝ようかなと携帯を手に持った時に、ふと「ブログ始めるか!」と思い立ち、すぐに作って、今まさに書いています。

まぁ前々から時々考えてはいたので、名前やIDは決まってました。



ここは多分掃き溜めです。

でも、大切な掃き溜めになる予定です。





宜しくお願いします。